備忘
今回のことで『担当の方の気持ちがわかる』『実は好きだった』なんて書くつもりは一切ないっていうことだけ前提として言っておく。
ただ自分の中での備忘の意味で。
12年前の夏、ある舞台が終わると共に元担が辞めた。
他のJr.たちと同じように、予告もなく、挨拶もなく辞めた。
もともとJr.は不安定な立場で、いついなくなっても仕事に呼ばれなくなってもおかしくない。だからこそ現場に行けるときは必死で行っていた。
その夏は、詳細は言えないけど、後悔したくないなら来い、という話だけが回ってきた。どこか覚悟を決めた静かな気持ちで、毎公演みていた。
そして彼は音もなくいなくなった。
もう舞台をみにいってもステージの上にはいない。コンサートで馴染みの曲がかかると、踊っている姿が頭のなかでは再生されるのに、でも、現実にはいない。
ステージにいないということは、ジャニヲタにとって、その人が世界から消えたということと同じなんだと痛いほど繰り返し気づかざるをえなかった。*1
ジャニヲタなんてクソだとおもった。
そしてヲタ卒した。
このときの経験はどうやらかなりのストッパーになったようで、北山くんと出会ってもしばらく積極的に関わっていこうという意識までもっていけなかった。
でもジャニヲタに戻る、担当になる、と決められたのは、彼が『意志の人』であり『覚悟の人』だったからかもしれない。
このひとなら、と思えたのかもしれない。
そして迎えたデビュー。
これでもう、北山くんをずっとみていられる。
もう、いついなくなるのか、世界から消えるのか、そんなことを心配しなくていいんだ。それがいちばん嬉しかった。
北山くんになにかメッセージを贈るとき、『きょうもステージの上にいてくれてありがとう』と添えるのは、このときの経験をもとにしている。
きょうも、アイドルでいてくれてありがとう。
わたしたちの、愛をうけとめる存在でいてくれてありがとう。
わたしたちの世界で、生きていてくれてありがとう。
ただ、デビューをしたからといって、もう何も心配しなくていいってぬるま湯に勝手に浸かってたのは、わたしだけだったのかもしれない。
北山くんは永遠なんてないこと、継続することの難しさを知っている。
危機感をもって仕事をしている。
5年目の目標に、『変わらずに、メンバーがライブを楽しめて笑っていること』を見ている北山くん。
だからこそあらためて、感謝をしたい。
北山くんがきょうも、ステージの上にいてくれることに。
そして、『続ける』ための努力をしてくれていることに。
ジャニヲタなんて、ただ見つめていることしかできない。
意思を決めてしまった彼らをただ見届けることしかできない。
でもそうやって、ただただひとりの人生を見つめることが悪く無い、と思えたから、ジャニヲタに戻ってきました。
もちろん、北山くんがこの仕事を続けようと、努力をし続けてくれる限りね。
北山くんがきょうもステージの上にいてくれることに感謝を。
以上、北山担としての備忘でした。